学生が終わってという肩書きが消えた今思うこと
こんばんは、Bob(@Bobblog06)です。
僕自身、半期留年という特殊な形なので
先日、学生最後の授業が終わりました。
まぁ、必然的に肩書きは社会人になっていくわけですが、
親とも話して周りにも相談してみて、いろいろ思ったことを列挙したいと思います。
就職ってえらいか
クラウドソーシングなどである程度稼げてきているし、
こうしてブログを書くことも楽しいので、
「フリーランス」として生きていくことを腹に決めています。
両親がかたい頭の持ち主で「就職すれ!」みたいな人なので、
猛反対されましたが、「こいつら面白くないな」って思いながら
無視しまくりました。今もほぼ連絡は無視が基本です。
そこまで、就職に執着する意味ってあるのか。
好きでもない、むしろ嫌いな人との飲み会に付き添い、
なんかそこまですごくない人にめちゃくちゃ怒られ、
気付けば自分のやりたかったことも満足にできずに死んでいく。
そんな人生嫌じゃない?自分主軸の人生を送りたい!
ということで死んでも就職なんてしません。
肩書きってそんな大事か
よく、フリーランスとかノマドワーカーって言われていますが、
そんなカタカナが並んでいるような肩書きどうでもよくて、
単純に
「決められた時間」「決められた場所」「決められた人間」と
仕事するとかが無理で、たぶん1年続けば奇跡って感じです。
かつ、その上司の能力が低いともっとやる気なくなり、
反逆してやろうかなとか思っちゃいます。
ちなみにバイトで上司を論破したりしてました。
やっていることが法的に反していなかったり、
自分が納得することができていればそれでよくないか?
目が死んでる大人は説得力がない
これに関しては偏見かもしれませんが、
なんかベンチャーとか勢いのある企業や
自分のやりたいことをできている企業は良いかもしれませんが、
ただ働いて、飲んでを繰り返している企業の人って
目が死んでないですか?
なんかそんな大人に夢を語られても、説得力もなければ聴く価値もないと思います。
そんな時間があるならもっと有益に使いたい。
きっと探せば自分に有益な大人なんてたくさんいるし、
自ら会いに行けばいいので、要らない時間をそんなことに費やしたくない!
と親とバイト先の社員を見て思いました。
それこそ、AIR JAM2016で
Hi-standardを観たとき、
こんな輝いているおっさんがいるのか!とおもいました。
目指すはハイスタ!なんておこがましいけど、
あんな目が輝いているおっさんになりたいなと思っています!
まとめ
ある意味で、人生で一つの節目を迎えます。
道をどう開拓してくかも自分次第なので、死ぬ気で楽しくしていこうと思います。
このページを観た人に言いたいのは、
若いほうが強いし、周りに自分の道を変えられる必要はないってこと。
どんな業界や社会に行っても、
同調してくれる人はいます。批判してくる人は自分と違う考え方の社会にいるだけ。
相手にするだけ無駄です。
そんなこと考える暇あったら、自分のやりたいことに時間を費やしましょう。